スピッツ

スピッツが大好きです。

 

初めてスピッツをちゃんと聴いたのは中学3年生の梅雨で、それまでは「空も飛べるはず」「チェリー」「魔法のコトバ」くらいしか知りませんでした。

ひょんな事からスピッツに音楽的な興味を持ち、図書館でファーストアルバム「スピッツ」とセカンドアルバム「名前をつけてやる」を借り、聴きました。

衝撃を受けました。わたしが好きなもの、そして求めているものがすべて彼らの音楽に詰まっていたからです。

甘くて柔らかなのにスパイシーで刺々しい。わがままで甘ったれで夢見がち、それでいて誰よりも凛としている。わたしが目指すものがすべて彼らの音楽に凝縮されている気がして思わず身震いしました。こんな音楽があるのかと、後にも先にもないショックを受けました。

 

すぐにファンクラブに入会し、CDを買い漁り、ライブに足を運ぶようになりました。

 

それから7年の月日が経ち、未だにスピッツはわたしのナンバーワン、わたしのスターであり続けています。

 

音楽の素晴らしさ、壊れてしまいそうな繊細さ、緻密さ、強さを教えてくれたのは間違いなくスピッツの4人と音楽たちです。

 

 

 

 

生きてるのか死んでるのか

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YMOの「過激な淑女」を聴いています。

 

今日は一日中眠り続けて、筋トレも昨日サボってしまい、なにもする気が起きずなにやらぼんやりとしています。

 

生きてるのか死んでるのかわかりません。

左手首の傷と、治りかけてる痒みがかろうじて幸福にさせてくれます。

 

わたしはどこに向かって走っているのか?

なにを求めて走っているのかわかりません。

もがくことも忘れそうです。

 

 

 

リストカットと私

数日前から、リストカットをしています。

リストカットが習慣化したのは高校3年生の春。

学校に行けなくなり、苦しさ、怒り、焦り、そんなものをすべて自分に向け、自分を責めて自分を傷つけていた頃。

 

ここ1年くらいは落ち着いていたのですが、また慢性化しつつあります。

 

でも今は自分を責めるためというより、快楽のためにやっている部分が大きい。

真っ赤な血を見ると癒されるし、少しズキズキした痛みも心地よい。左手首が傷ついているのをみると落ち着くんです。

 

リストカットがわたしのアイデンティティになりつつあるのかな。

なんか嫌な気もするし、悪くない気もするし、でもやっぱ間違ってるんだよな。

Summer Twins

 

かなり前にAMOちゃんがブログで「お気に入りの音楽です」と紹介していた、Summer TwinsのCDを買った。

 

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ジャケットがかわいい。

 

聴いてみると、軽快であかるいのにちょっぴり意地の悪さもあるような女の子音楽ですっかりハマってしまいました。

 

夏だからこういう切なくなるくらい軽やかなポップスは心に沁みます。

 

 

 

話は変わって、このままいくとわたしは9月からニートになってしまう。

求人サイトは見ているんだけど、なかなか心に響くものなし。そもそも求人サイト自体にトキメキを感じないからなあ…。

 

思い切って実家を離れて大阪あたりでも行こうかとも思います。

 

書けない

ずーっと、なにかを表現して、なにかを発信して生きていきたいとここ数年思っている。

わたしが憧れ、愛読しているのはネットのメールマガジンから作家になった田口ランディさんや、さまざまな活動をしながら社会を突いている雨宮処凛さん、「日本一有名なニート」としてたくさんの生き方のパターンを提案しておられるphaさん、等等。

 

彼らのような文章を紡ぎ、あわよくば世に発表したいとふつふつ思っているわたしですが、書けないのだ。

 

書こうと思っても書こうと思っても、書く題材が見つからない。

 

なぜか。

先に挙げ、そしてほかにもわたしの敬愛する文筆家の方々は、ほぼ30〜40代。

その年齢に達してから初めて「若さ故の痛み、苦しみ」を振り返って買いておられるのだ。

 

わたしは今21歳。

わたしは振り返るほど人生経験を積んではおらず、そもそも振り返るもなにも「若さ故の痛み、苦しみ」にもがいている真っ只中なのだ。

 

だから、先に挙げたような方々のようなものの書き方はできない。

 

21歳のわたしが書けるものってなんなのだろうか。

21歳のわたしだけが書けるものもきっとあるはずだが、それはなんなのか。

ニーズはあるのか。

 

とりあえず、雨宮処凛さんのデビュー作「生き地獄天国」や20代で隠居生活を実践されている大原扁理さんの著作を図書館で予約し、読むことから始めたいと思う。

 

わたしにもきっとなにか書けるものがあるはずだ…と思う。

雨宮処凛

雨宮処凛の本にはまっています。

名前は前々から知っていて、でもなんか川上未映子的な(川上未映子もどんな人なのか本を読んだことないので知らんのですが)人だと思っていて読まずにいたんですが、もっと早くに読んでいればよかったと己の色眼鏡を悔やみました。

「生きづらさ」を全身に浴びながら生き抜いてきた先輩という感じです。尊敬します。

 

今読んでいる本「生きづらい世を生き抜く作法」もとても素晴らしい本で、一章一章がみじかくて薬漬けでバカになったわたしの集中力でも充分に読めます。面白いしね。

 

「間違える自由、迷惑をかける自由」という章を読んでいるのですが、ホホーと目からウロコなことが書いてありました。

雨宮さんはいじめを受けていた学生時代から「逃げるなんて卑怯者」等等の正論を振りかざす大人に度々努力と忍耐、迷惑をかけないことを強いられ、「生きづらさ」を抱えていくんですが、ある日を境に「正論を振りかざす大人」の言うことを一切無視し、そして正反対の行動をとるようになったみたいです。迷惑をかけてみたり。本には書いてないけど逃げたりもされたんじゃないでしょうか。

そうしたらどんどん生きづらさが軽減されていった。

 

これは凄く心に響いたのですが、わたし含め多分多くの「良い子演じ」をしている人、間違えたり迷惑をかけたり逃げたり怠けたり、そうすることはかなり勇気がいるし怖いと思うんですが、だからこそエイヤッと一度殻を破っていきたい、そう思いました。